さすらいライター、みずぐちもとゆきが綴る日常と非日常

友達のいるとある喫茶店のカウンターにて。

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「なにか特別なことをしないと」ぼくは脅迫感に縛られてきた。
でも、日々の満足感なんて、大したことをしなくても得られるもんだな、
というのがここ数日の実感である。

 

朝起きて、家事をして、本屋に行って仕事して、ご飯食べて、
喫茶店に行ってコーヒーを飲んで、本を読んで、帰って寝る。
毎日まいにち、そんな感じだ。

そんな毎日がなんだかとても楽しいし、やりたいことがどんどん出てくるし、
しかもそれをどんどんやらせてくれる。それがとてもありがたい。

 

いままでいたところと、いまいるところが別世界のようだ。
いままでいたところが曇り硝子の向こう側にあるようにさえ感じる。
関わってきた人たちがその向こう側に見える。
変化はあるようだが、日々の生活をしている。
違うのは硝子の向こう側ということ。

もしかしたら今までも硝子の向こうからその世界を眺めていたのかもしれない。
でも硝子で仕切られていることを知らなくて、知りたくなくて、
硝子にへばりついてその世界を眺めていたのかもしれない。

だからなんとなく曇っていたし、だからよくわからないことがたくさんあった。
いまは硝子があることに気づいて、すこし離れている。
でもなぜか、そのほうが曇りが晴れたようにも感じる。

 

言葉と感情と思考と。

いつもどれもちぐはぐで、自分の口にすることも、誰かが口にすることも、
正直どれもよくわからなかった。上っ面はわかるんだが、
ほんとうの意味がよくわからなかった。

ある第二言語を話す二人が話をする。
その時、ひとりが90%話せて、もうひとりが80%話せるとすると、
二人が理解し合えるのは72%になるんだそうだ。
ぼくは日本語が母国語なんだが、けどもどこか外国語を話すような心持ちだ。

未だ自分は自分の心持ちに的確にはなるような
言葉のピースを持ち合わせていないらしい。

そのことにも気づかぬまま、世界とぼくとを隔てる硝子は曇っていくばかりだった。

よく省みてみれば、心も身体も思考でさえ、自分の理解の範囲にないことばかり。

そういう意味では、いまの生活ができるようになって、
この歳になって、ようやく自分の人生が始まったのかもしれない。
(じゃあいままでのは何だったんだろうか。。。)

 

いま書いていることも、正直誰かに伝わると思ってないし、
そもそも読まれると思って書いていない。

けれども、きょうこんな心持ちになったことをどこかに書き置きしておきたい。
ただそれだけです。自己満足です。
今はそれしかできないけれど、いまはそれだけだったとしても、書いておきます。

またそこからはじめてみます。