さすらいライター、みずぐちもとゆきが綴る日常と非日常

(151101追記)日常が咲きほこる 『微花』という図鑑の話。

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図鑑っぽくない図鑑、『微花』

わが家にも図鑑があるが、『微花』はそのどれよりもうすく、小さく、一見図鑑とは思えない冊子だ。ページをめくれば日々通う道で見かける草花たちが載せられている。でも、その草花の説明と思しき文章はない。書いてあるのは名前だけ。これは本当に図鑑なんだろうか。

 

ならば『微花』とはなにか。はじめとおわりの文章を読んだらわかるだろう。はて、なぜかとても読みづらい。よく見れば、文体が普段目にするものと違って、特殊である。ここであることに気づいた。

 

 

わかりやすさと読みづらさとの間で

情報が乱立するこの頃において、どうすれば人に読み飛ばされない文章を書けるか、について考えてきた。その一つの答えがここにあるような気がする。

 

ひとりのもの書きとして、わかりやすい文章を書くことが当然のように思っていた。だが「読みづらい」と感じた文章は、むしろ落ち着いてじっくり読んでみたいと思わせる文章でもあった。たしかに、たかが文章に向きあう時間さえおしいと思う人もいるだろう。しかし、もしかしたらその「読みづらさ」ゆえに、読み手の気づきへのきっかけになるかもしれない。

 

『微花』は図鑑でありながら、写真集でも、雑誌でも、随筆でもある。そしてそのどれでもない。

 

そんなわけで、家に持ち帰ってから、ぼくはようやく読み進められた。でも不思議なことに、目で追って読みづらい文章も、声に出して読んでみると、なんだ、すんなり入ってくる。

 

 

感じられない環境か、感じとれない自分か。

『微花』の言わんとするところが理解できたとき、ぼくはレイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』を思い出した。幼いころ自然のなかで冒険を楽しんだであろうロジャー。大都会の端くれで生まれ育ったぼくには想像もできない感覚を持っているだろうと、うらやましくて仕方がなかった。

 

はたしてここで自分の育った境遇がいけなかったのだろうか。いまからそうした草花や自然に思いをはせ、感じとることはできないのか。地元よりもまだ自然のあるであろう京都に移ってからも、どうしても自然とともに育った人には追いつけない。そんなふうにあきらめることが何度もあった。

 

でも待て。それは人をうらやむばかりで、ぼく自身が本当にそうしたいとは思ってこなかったためではないか。あの道ばたに咲く草花のことを本当に識ろうとしていたか。季節が感じられない都会にうんざりしていた高校生のときのぼくに、『微花』を紹介してやりたい。

 

 

『微花』がおしえてくれたもの

ただ、落胆するばかりではない。名も識らない微花が無数にあるのだから、むしろこれからぼくの人生のなかで咲かせていけばいい。それを『微花』はおしえてくれる。名も識らない草花に向ける意識を持って、いま地元に帰ったらどうだろうか。季刊発行するという『微花』。次の帰省がちょっと楽しみになった。

 

微花 kasuka

HP:http://kasuka.base.ec
Twitterhttps://twitter.com/kasuka___

 

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(追記 2015年11月1日)

この度、11月8日(日)「微花」1./秋 刊行記念として制作者のお二人とのゲストトークを開催します!詳細は下記のページからご覧ください。

なぜ、いま、植物図鑑か… リトルプレス「微花」トークイベント | Facebook