ことばあそびか、こころのさけびか
みずぐちもとゆきが綴る日常と非日常

20150715 本日、祇園祭は宵々山

いつも四条通に鉾が立つのを見ると、あまりにも非日常的な光景のために 「あれは暑くて目が眩んで見える幻なんじゃないか」とさえ思ってしまう。 それでも毎年7月には決まったように山鉾が立つので、 夏バテでおかしくなってるわけではないんだなと、どこか安心する。 現代では「京都の夏の風物詩」として当たり前のように毎年行われる祇園祭。 しかしそれが「当たり前ではない」ことを関係者はその長い祭の歴史から知っている。 ある関係者の方は「平和だからこそ、祭が続けられるんだ」と語っていた。 かつて応仁の乱の間に中止されたというのは有名な話だが、 近年で言えば、いまからおよそ70年前 第二次世界大戦の間も山鉾巡行は中止を余儀なくされた。 その後戦前通りに復興するまでには10年ちかくの年月がかかった。 こうした歴史のためか、関係者からの話題の中心は 「どうしたらこの祭を毎年執り行うことができるか」ということ。 それも5年や10年ではなく、おそらくは50年、100年 あるいはそれ以上に長い期間を考えているのかもしれない。 道具や装飾が壊れても、また用意できるように 誰かが携われなくても、その想いや技術が引き継がれるように 不況や天災が起きても、なんとか維持できるように 世界情勢が変わっても、その時代に耐えうるように 例年のとおりに ―それは関係者の熱い思いと、計り知れない努力によって初めて成り立つ。 だからこそ、人はその姿に魅了され、美しさを感じるのかもしれない。 そして、この感覚こそ、いまを生きる私たちに最も必要なものかもしれない。 今年も無事に祭が進みますように。