ことばあそびか、こころのさけびか
みずぐちもとゆきが綴る日常と非日常

記録をつける意味を自分なりに論じてみたいと思います。

・記録をつけるということ

今日大見謝さんと話していた中で 「ログを残す」という話をしていたので、 自分としての意味を考えてみようと思う。・そもそもログを残すということが僕にとっては簡単ではない。

少なくとも、僕は「そのまま」では書くことができない。 何かを意識しながら時間を過ごし、 自分の思考や感覚の整理も必要。 当然、感覚を磨くことも大切になってくると思う。 書くという行為そのものの訓練も必要。

ただ、書くということがこれほどの作業 というか練習が必要というのも面白い。 でも言ってしまえば、 日常にちょっとした行動・意識が加わるだけで ある意味簡単なのかもしれないが・・・。

・相手の言葉を深く聞く

僕は最近までインタビューの時には 録音をしないようにしてきた。 お話を伺う際は、相手にお気遣いをいただくという、 残念な面もあるが、僕はその方法をとってきた。

またメモはだいたい手書き。 速記が得意というわけでもないので、 話の進み具合には時間を要する。

しかし、その分僕が聞くことに集中することができ、 記憶することができる。 記録はその記憶をたどるためにするようなものとしてきた。

・自分の感覚を残すために

思考や感覚というのはとても儚いものだ、と僕は思う。 根本的な部分では変わらないのかもしれない。 しかし何かアクションが起こった時に 出てくる「化学反応」はすぐに色褪せてしまう。

りんごを塩水につけるように、 すぐに感覚を何かに突っ込まねば。

・思考偏重だからこそ

僕はどうも思考のほうが強くて 感覚を大事にしないことがある。 鈍ってるとは思いたくないが、 感覚をなかったことにしたり、 蓋をしてしまうことはよくある。

そうしているうちに、どんな感覚だったか あとで思い出せなくなることがある。 もったいないことをしてきた。

よくわからない「もわん」としたものを 言語化するのは難しい。 まして文章で人に伝えようものなら、なおさらである。 だからこそ、できるだけ、書く練習をしたい。

せっかくいいノートも買ったのだし。。。